「財務会計」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?簿記の知識?企業の決算書?それとも投資家向けの情報開示?
実は、財務会計はこれらすべてを含みつつ、それ以上に深い研究領域を持っています。近年、財務会計の研究はデータ分析を駆使した実証研究が主流となり、さらにはAI技術の発展とともに、生成AIを活用した新たな研究アプローチも注目を集めています。
この記事では、財務会計の学問的な特徴と実務での応用に焦点を当て、簿記との違い、データ分析に基づく実証研究手法、そしてAIの活用までを、東北大学の吉永裕登教授から伺いました。

吉永 裕登
東北大学 大学院経済学研究科 准教授
【biography】
2014年 一橋大学商学部 卒業
2014年 日本銀行金融研究所 客員研究生
2015年 一橋大学大学院商学研究科修士課程 修了
2018年 一橋大学大学院商学研究科博士後期課程 修了
2018年 東北大学大学院経済学研究科 准教授に着任、現在に至る。
著書:『マクロ実証会計研究』、(2020)、日本経済新聞出版(中野誠氏との共著)
財務会計とは何か? 簿記との違いと学問的特徴
ナレッジアート(以下KA):主に財務会計の質問になりますが、財務会計の学問の特徴について教えていただけますでしょうか。
吉永氏:まず、前提となる基礎知識から説明しますが、財務会計は企業会計の一分野です。企業会計の中には、財務会計と管理会計の2つがあります。企業内部者である経営者や財務担当者に対する情報提供を目的とする管理会計に対して、財務会計は企業外部者を対象にした会計であり、主に投資家などの利害関係者に対する情報提供を目的とするものです。
この財務会計のシステムを活用して、企業の保有資産や資金調達の方法が記された貸借対照表、企業が期間中に稼いだ利益を計算する損益計算書、同じく期間中の現金の出入りを示すキャッシュ・フロー計算書といった財務諸表が作成されます。我々が株式を売買できる上場企業の財務諸表は、決算短信や有価証券報告書という書類の中で公開されており、インターネットを通じて確認可能です。
さて、現代の財務会計の学問上の特徴としては、「実証分析」と呼ばれるデータ分析に基づく研究が主流であることが挙げられます。
例えば、財務会計の目的として、投資家の意思決定に資することが挙げられます。このとき、本当に財務会計のシステムを通じて作成された財務諸表が投資家の役に立っているのかを確認するためには、どうすれば良いでしょうか。厳密に分析するための手法は色々とありますが、発想自体は非常に簡単です。投資家の行動が反映される株価と財務諸表との関係を、統計的な手法を用いて調べれば良いのです。また、財務諸表に含まれる個々の項目がどのように株価と関係しているのかを調べれば、個々の項目の及ぼす影響も測定することができます。
もちろん、他の手法に基づく研究もありますし、様々な手法に基づく研究が行われて然るべきだと思います。しかし、データを用いて定量的で客観的な結論を導こうとする研究が、現代における財務会計研究の主軸であるというのが財務会計研究者の共通認識でしょう。
ちなみに、大学で財務会計について携わってきた経験上、おそらく学生さんを含む一般の方の認識と、今説明した財務会計研究で実際に行われている内容の間には、かなり違いがあると思っています。というのも、多くの方が財務会計という言葉を聞いたとき、「簿記」を思い浮かべる方が多いからです。あるいは、公認会計士試験の勉強をされている方であれば、簿記で行う処理や考え方を規定する会計基準や、会計基準の背後にある考え方が記載されている概念フレームワークを思い浮かべるかもしれません。ただ、いずれにせよ現代の財務会計研究の多くで行われている内容とは少し異なるものです。
KA:一般の方が財務会計と簿記を同じように考えるようになった背景には、どういった理由があると考えますか。
吉永氏:おそらく、理由の1つは大学などで財務会計を学ぶときに、簿記や簿記の背後にある考え方を学ぶ授業が多いからだと思います。
たとえば、私は所属している東北大学の会計大学院において、「財務会計1」、「財務会計2」という科目名の授業を担当しています。これらの授業では、主に公認会計士志望の方を対象として、会計処理やその背後にある考え方を主に扱っています。また、私の学生時代でも、大学の会計学入門で学んだ内容は、会計処理の背後にある考え方や財務会計の制度に関するものが中心でした。そのため、他の大学でも「財務会計」などと題した授業において、簿記や簿記の背後にある財務会計の考え方を学ぶことが多いのではないか、と思っています。
もう1つの理由としては、我々研究者の研究に関する本や論文を一般の方に手に取って頂く機会が少ないからではないかと思います。
学術論文も論文の内容をまとめた研究書籍も、多くの場合、学術的な専門知識がある同業の研究者向けに書かれるものです。同業の研究者であれば専門知識も十分に持っているので学術的な専門用語を多用しても問題ありません。しかし、専門知識を前提とした書き方をすると、学術的な専門知識を学ぶことが少ない一般の方にとって、非常にとっつきにくいものになってしまうのではないかと思います。
この点は、我々研究者が一般の方も手に取る可能性のある書籍を執筆するときに気をつけなければいけないところだと思います。私も自身の携わった研究内容をまとめた『マクロ実証会計研究』を共著で執筆させて頂いたときには、できるだけ一般の方が手に取りやすいように平易な表現で書くことを意識しておりました。ただ、出版社の方によればあまり売れているわけではないようなので、まだ十分ではないのだと思い、気を引き締めているところです。
少し話がそれましたが、このような背景もあって、「財務会計」という言葉を聞いた時に簿記をイメージする方が多いのではないかと思います。
KA:では、一般の方が財務会計を役立てるとしたら、どのようなケースが考えられるのでしょうか。
吉永氏:財務会計の目的は投資意思決定に資することです。目的に基づいて申し上げるなら、株式投資などでの意思決定のときに活用することが考えられます。例えば、「財務諸表分析」や「企業価値評価」という領域では財務諸表を用いた分析手法が体系化されており、実務でも使用されています。最近ではNISAを通じて個別株投資を始める方も増えてきていますので、どの株式に投資すべきかを考える時に財務諸表を通じた分析手法が1つの指針を出してくれるでしょう。
実証研究で読み解く投資家の心理
KA:次に、財務会計研究における実証研究の内容について具体的に教えてください。
吉永氏:財務会計の実証研究では、統計的手法に基づくデータ分析を用いて、様々な研究が行われています。そのうち、初期の研究で用いられた手法に「イベントスタディ」があります。簡単に言えば、イベントスタディとは、ある特定のイベントが発生するときに注目する変数が平均的にどのような動きを取るのかを測定する手法です。
財務会計研究におけるイベントスタディの例としては、企業が財務諸表を公表する決算発表をイベントとし、イベントの前後に株価や株式の取引量(出来高)の平均的な変動を定量的に測定するものがあります。この分析により、財務諸表の公表が株式投資家の意思決定にどのようにどの程度寄与しているかを評価することが可能となります。また、イベント時の株価変動と、財務諸表における様々な項目との関係を調べれば、個々の項目がどのように株式投資家の意思決定に影響しているのかを調べることも可能です。
KA:決算発表に際して、どの項目が投資家の意思決定に大きな影響を与えているかについて教えていただけますか。
吉永氏:まず、決算発表日に株価が大きく変動することは、多くの研究で確認されています。日本であれば、決算短信の発表日ですね。
そのうえで、決算短信におけるどの情報が投資家の意思決定に大きな影響を与えているのか、という点については、代表的な項目を1つ申し上げると、決算短信の冒頭のサマリー部分で公表されている「次期の業績予想」です。
企業価値評価の領域で株価を説明するモデルでは、将来に企業の獲得するキャッシュ・フローや利益によって株価が決まってくることが示されています。そのため、企業自身が公表する将来の業績予想が重要視されているのでしょう。
KA:決算短信以外の外部要因も株価に影響すると思いますが、実証研究では注目するもの以外の影響はどのように考慮されているかについて教えてください。
吉永氏:実証分析では、イベント日における株価変動のうち企業固有の要因に基づく部分を抽出するために、「異常リターン」が用いられることが多いです。具体的には、金利や物価、政治の影響などで発生する市場全体の株価変動を基に推定された「正常リターン」を求め、実際の株価変動から「正常リターン」を差し引くことで、「異常リターン」を測定します。こうすることで、ある程度は注目するイベント以外の影響を取り除くことができるのです。
また、特定の外部要因の影響を緩和させたい場合、その外部要因が表れる変数(コントロール変数)を分析モデルに組み込むことで統計的に影響を調整することも、よく行われています。
生成AIは投資を変えるか? 財務会計研究の最前線
KA:最近の財務会計研究の動きと、今後の展望について教えていただけますか。
吉永氏:最近の財務会計研究で個人的に注目している新しい動きとしては、Chat GPTをはじめとする生成AIの活用です。生成AIは、特に非財務情報の分析に大きな影響を与えているように感じています。
例えば、財務諸表が収録されている有価証券報告書は企業によっては200ページを超える膨大な資料であり、事業の概況やリスクの概況など、投資に関連する重要な内容が文章でも説明されています。とても人間が瞬時に全て理解できる資料ではありません。そこで、有価証券報告書のうち特に文章で記述されている非財務情報について、スピーディに理解する方法はないかと研究が進められてきていました。
しかし、文章で表現される定性的な情報を、実証分析で使用するためのデータに落とし込むのは難しいものでした。従来の非財務情報の実証研究の中には、文章に含まれるポジティブな言葉の割合を測定することで、企業自身の現況に対するポジティブさを測定するといった試みがあります。このようにして機械的に測定したポジティブさは人間が同じ文章を読んで感じるポジティブさに、必ずしも一致するわけではありません。
こうしたなか、文章の高度な解釈が可能な生成AIが現れたことにより、従来よりも文章をうまくデータに変換できるようになっているように思います。生成AIによって文章をうまくデータに変換できれば、非財務情報の実証研究は大きく進展すると考えています。
もちろん、生成AIが使用するデータやモデルは更新されていくため、研究上の再現性を確保するのが難しいという批判もあると思います。例えば、2024年時点の生成AIでは有効だった手法が、2025年時点では機能しない可能性もあります。再現性は科学の重要な要素の1つなので、研究者によって生成AIの評価は分かれるはずです。また、生成AIは必ずしも正しい答えを返すわけでないことにも留意すべきでしょう。
とはいえ、新技術の登場は常に新たな研究機会をもたらします。個人的には生成AIの登場をポジティブに捉えていきたいと考えています。
KA:生成AIを使った投資判断の精度は現在どの程度なのでしょうか。また、将来的には財務分析の知識がなくても、生成AIだけで収益を上げられる時代が来るのでしょうか。
吉永氏:現状、自分で分析に活用した経験が少ないので一概には言えませんが、生成AIの補助を受けた投資判断に対して肯定的に評価する論文はいくつか存在しています。
その一方で、生成AIだけで常にリターンを上げられるかという点については、難しいと考えています。多くの投資家が同じツールを使うようになれば、その優位性はどんどん小さくなるからです。
ただ、生成AIは判断の「補助」としては有用だと考えられます。有価証券報告書や海外の決算説明会資料など、膨大な情報から重要なポイントを抽出したり、要約したりする際にも役立ちます。生成AIは良きアドバイザーの一人として活用しつつ、最後は人間自身が責任を持って判断する、というのが望ましいと考えています。
KA:生成AIは非財務情報だけでなく、財務情報の分析にも応用できるのでしょうか。
吉永氏:はい、生成AIと財務情報の組み合わせも十分可能だと思います。Pythonで分析をする場合には、分析するためのコードの原案を教えてもらうこともできるので、作業時間の短縮になると思います。ただ、誤ったコードを提案することもありますし、提案された手法が必ずしも適切とは限らないので、最終的には自分で責任を持って分析するのが大事だと思います。
財務会計研究への誘いと学びを深めるためのアドバイス
KA:最後の質問になりますが、財務会計の研究を検討している方に対してアドバイスをお願いします。
吉永氏:財務会計研究の内容を知りたいという方に対しては、ちょうど2025年1月に中央経済社から「財務・非財務報告のアカデミック・エビデンス 」という書籍が刊行されました。私も著者の一人として担当した書籍です。
この書籍では意欲的な財務会計の研究者が集まり、さまざまな側面の財務会計の研究領域について、ポイントを絞って先行研究や実務への活用方法を紹介する内容になっています。財務会計の最新研究領域をざっくりと理解したいと考えている方には、ちょうど良い内容です。
次に、財務諸表分析や企業価値評価の学習を始めたい方に対するアドバイスです。先ほど申し上げた通り、財務諸表は研究対象となるだけでなく、実務的にも財務諸表分析や企業価値評価を通じて活用されています。そこで現在、他大学の先生とともに初心者向けにできるだけわかりやすく事例も豊富に説明するテキストを執筆しています。財務会計の基本から始まり、財務諸表分析に企業価値評価、企業経営者や財務担当者による財務的意思決定といった、基本から応用まで幅広く学べる一冊になっているはずです。
こちらのテキストは今年度中に出版される予定ですので、財務諸表を用いていろいろ企業分析をしてみたいと思っている方に参考にしていただける書籍に仕上がっているかと思います。
KA:「財務・非財務報告のアカデミック・エビデンス 」の書籍について、特に注目すべき点や特徴について教えていただけますでしょうか。
吉永氏:「財務・非財務報告のアカデミック・エビデンス 」の書籍の特徴としては、財務会計の22の研究領域を幅広く取り上げており、各章が4節構成になっていることです。1章あたりの文量が短いのでさっと読んでいただけるほか、最終節である4節目に「実務・政策的な示唆」が記述されています。これは、取り上げた研究成果を一般の実務家の方々はどのように活かせるのかについて要約する内容になっています。そのため、時間がない方であれば、特に4節に注目して頂くと良いのではないかと思っています。
KA:書籍を読んで、さらに深く理解したいという方もいらっしゃると思います。そういった方はどのような勉強をするのがベストでしょうか。
吉永氏:やはり、自分で手を動かして分析することが一番だと思います。本を読んでインプットして終わりではなく、仕事や投資、企業分析など、なにかアウトプットにつなげる姿勢が重要です。アウトプットをする中で頭の中にあるだけの知識が、使いこなせる知恵や経験に変わるからです。
研究内容について理解したいならばその内容に関連する現実の事例を探してみること、財務諸表分析や企業価値評価について理解したいなら、実際に財務諸表を取得して分析してみることがアウトプットの一例です。学んだ内容を実際の投資判断に役立てていただき、自分の予想が当たっているかを確認するために、少額でも投資してみるのも良いでしょう(ただし、投資は自己責任です。)。
知識は使えば使うほど、意味を増していくものです。インプットだけでなくアウトプットも行うことで、身につけた知識を積極的に活用して頂きたいと思っております。