「情報への公正なアクセス」を支える学問──図書館情報学という視点

図書館の本の並べ方という、一見すると単なる整理術のようにも思えるこの行為が、実は一つの学問の出発点であることをご存じでしょうか。

情報があふれる現代において、私たちは「必要な情報に、誰もが、等しく、たどり着ける」環境づくりを求められています。

今回は、沖縄国際大学の山口真也教授に図書館情報学という学問の理念とその社会的意義について伺いました。

利用者のための「本の並べ方」から始まった学問

ナレッジアート(以下KA):まず最初に、「図書館情報学」とはそもそもどのような学問なのか、教えていただけますでしょうか?

山口氏:「図書館情報学」という学問は少し複雑で、その捉え方についてはいろいろな議論があります。図書館で働く専門職である「司書」を養成するための学問とも言えますし、「図書館学」ではダメなのか、「情報学」となぜ結びついているのか、といったことが議論になることもあります。ただ、そういったことを一度脇に置いて、私なりの捉え方をお話ししますと、一言で言えば「情報へのアクセスを効率化すること」を基盤とする学問です。

具体的には、情報を得るために人々が費やす時間をできるだけ節約し、合理化するという考え方が中心にあります。他にもいろいろなことがテーマになっていますが、歴史的に見ると、図書館情報学は、「分類」や「目録」といった「情報の組織化」から始まった学問ですので、情報へのアクセスの効率化、というのは一つの大事な捉え方になると思います。

たとえば、本棚の並べ方ひとつとっても、どのように配置すれば利用者が必要とする本にすばやく手が届くか、というようなことを考えます。図書館というのは常に蔵書が増えていくので、単に購入順に並べているだけでは、買った人にしかどこにどんな本があるかわかりません。図書館は個人の本棚ではないので、買った人ではない、不特定の誰かが効率的に本を探せるような工夫が必要になります。そうした配慮が学問としての出発点です。

また、図書館に来る人だけでなく、まだ利用していない人たち、あるいは図書館の外にある情報源、たとえばインターネット上の情報などへのアクセスのあり方についても考えていく学問です。

誰もが、学校での勉強や仕事、家事、育児、介護、趣味・息抜きなど、さまざまな場面で情報を必要としています。等しく情報にアクセスできるような環境を整えること、そして、そのことを通して公正な社会の実現を目指すことが、図書館情報学の大きな目的の一つだと考えています。

KA:インターネット上の情報なども対象にしているのですね。その中で、図書館が主な対象であるとおっしゃっていましたが、本にはいろいろな種類があると思います。たとえば漫画などもありますよね。

漫画は漫画喫茶やネットカフェなどで読まれることが多いと思うのですが、そうしたものは図書館情報学の対象には含まれないのでしょうか?

山口氏:図書館でも漫画は収集しています。「漫画はだからダメだ」という考え方は、大昔はあったかもしれませんが、今ではほとんどありません。漫画にもテーマ性をもつ優れた作品がありますし、娯楽に役立つものもあります。利用者が求めるものであれば、それは情報として価値があるからです。

図書館はどこの地域でもすべてが同じというわけではなく、それぞれの利用者のニーズに応じて資料を収集していく必要があります。年齢層や地域性などに応じて、漫画をたくさん収集している図書館もあります。「漫画だから」という形式で判断するのではなく、それぞれの図書館の利用者が必要とする情報が漫画というパッケージに入っているのであれば、それを提供するのが図書館の役割だと思います。

KA:ありがとうございます。漫画喫茶やネットカフェなどの施設は、図書館情報学の対象には含まれないのでしょうか?

山口氏:図書館について大学生が最初に受講する授業の第1回目で、「図書館とは何か?」というテーマを扱うのですが、そこでまさに「漫画喫茶は図書館なのか?」という話をしています。同じように本がたくさんあって、利用しやすいように本が分類されている場所としては、漫画喫茶も図書館も似たような機能をもっています。しかし、図書館情報学の授業では漫画喫茶は図書館には含まれません。

図書館は「知る権利」(知る自由)を保障する場であり、その権利は憲法が保障する基本的人権とされています。図書館には、人々の情報への自由なアクセスを保障する、という社会的なミッションがあり、利用者の権利を保障する仕組みづくりが求められます。たとえば、本をしっかり保存すること、図書館にない本は他の図書館とネットワークを組んで取り寄せること、そういった体制が図書館には整っています。東京にある国立国会図書館では、「法定納本制度」という仕組みがあって、日本国内の出版物を網羅的に収集しているので、先ほど話題になった漫画もほとんどすべてそろっているんですよ。

一方、漫画喫茶は商業施設であり、人気が落ちてきて、読まれなくなった本をいつまでも本棚に置いていても利益は生み出しませんので、安く売却されて、それを元手にまた新しい本が購入されるというようなサイクルで経営が成り立っています。授業では、図書館は本(資料)を保存し、利用者の知る権利を保障しなければならないという点で、明確に異なる役割を担っていると説明しています。

KA:利用者が誰であるかという点では似ている部分もありますが、やはり役割や目的が違うということですね。

山口氏:そうですね。図書館は情報にアクセスする権利を保障する場であり、社会的な役割を持つ施設です。漫画喫茶のようなビジネスとは異なる、という点については、公共図書館について定めた「図書館法」という法律からも読み取ることができます。

図書館法第17条には「入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない」と定められています。当たり前のように思われるかもしれませんが、他の公共サービスと比べると、この条文に書かれていることが実はとても凄いことだと気付かされるのではないでしょうか。

たとえば、蛇口をひねって水を飲むのにもお金がかかりますが、図書館では本を借りるのには一円もかかりません。博物館や体育館など、他の教育施設では利用料が発生することもありますが、図書館では法律でそうした料金の徴収が禁止されているんですね。これを「無料の原則」と言います。

この原則は、昭和25年に図書館法が成立した際に、図書館関係者が努力して実現したものだと伝えられています。「知る」「読む」という行為は私たちの生活にとって当たり前のことであり、息をするのと同じくらい大切なものであるという認識に基づいています。

KA:「無料の原則」について、実は私はあまり図書館を利用したことがなく、知りませんでした。図書館を利用する際に、施設利用料や貸出に関する費用はまったく発生しないのでしょうか?

山口氏:コピー代などは実費負担が必要な場合があります。しかし、本を借りたり、館内で読んだりすることに関しては一切料金を取られることはありません。「知る」「学ぶ」といった行為は、人間の精神活動において極めて重要であり、人間が人間らしく生きる上で尊重されるべき、基本的な権利として保障するという考え方が背景にあります。

このことは著作権法とも関係があります。著作物を使って利益を得てよいのは基本的には著作者本人のみであり、図書館は本を所有しているだけですから、その貸し借りでお金を取ることはできません。

図書館で働かなくても役に立つ学び

KA: では、図書館情報学を学んだ後、それを日常生活にどのように生かすことができるのか、教えていただけますでしょうか。

山口氏:先ほども少しお話ししましたが、図書館情報学というのは、情報を効率的に入手するためのスキル、たとえば情報の検索の仕方や本の並べ方などを学んでいく学問です。司書になる、ならないに関わらず、情報社会を生きるためのスキルを修得できる点が、日常生活に生かせる学びの一つと言えるでしょう。

それに加えて、授業の中で学生たちに伝えたいと思っていることがもう一つあります。それは、図書館情報学の中心的な目的とは少し異なるかもしれませんが、日常生活にも活かせる視点だと思っています。

あるとき、図書館学を専攻していない経済学部の学生と話す機会がありました。私はそのとき大学の図書館長を務めていて、あるイベントを通して彼と知り合いました。彼は「図書館がとても好きだ」と話してくれたのですが、司書を目指しているわけでもないのになぜそんなに好きなのかと尋ねると、こういうふうに言っていたんです。

「やるべきことの周辺を見せてくれるところが好きなんです」と。

私はその言葉を聞いて、なるほどと思いました。たとえば特定のテーマの本を読みたいと思って図書館に向かうとしても、その本がある棚にたどり着くまでの過程で、カウンター前の展示コーナーや新刊本コーナーにある本に目が行ったり、目的の本の近くに並んでいる本が気になったりすることがあります。思いがけず新しい知識に触れたり、興味を持ったりする。そのような「寄り道」ができる場所が図書館だということを、その時、改めて教えてもらったような気がしました。

図書館は一直線に目的とする情報にたどり着く場ではなく、目的の情報の周辺にある世界を見せてくれる、広げてくれる場でもある。これはGoogleや生成AIのような、直線的に情報にアクセスする手段とはまったく異なる図書館の価値だと思います。知りたいことや学びたいことだけでなく、その「周辺」も含めて寄り道を許してくれるからこそ、人生が豊かになり、自分の考え方も広がる。学生たちには、図書館情報学を学ぶことで、こうした体験をぜひ重ねてほしいなと思っています。

KA:たしかに、そのような考え方もできますね。

山口氏:さらに、図書館情報学では「知る権利」や「学ぶ権利」を学んでいきます。つまり、「平等」や「公正」とは何かを考えながら、情報にアクセスする仕組みやサービスについて深く考えていく学問が図書館情報学とも言えます。若い世代が社会に出ていくにあたって、そうした視点を持つことは非常に重要です。

たとえば、授業の中では「利用者が平等に情報にアクセスできるようにするには、どのようなサービスが必要か?」という問いを扱います。利用者を差別せずに、等しく扱うこと、と考える学生が多いのですが、現実には利用者は平等な存在ではありません。そこには経済的な格差があり、本を買える人もいれば買えない人もいる。図書館の近くに住んでいる人もいれば、そうでない人もいる。外出が難しい高齢者や障害を持つ方もいます。外国人や性的マイノリティ、ホームレスの方々など、生活を送る上でさまざまな困難を抱える人々もいます。これらの人たちを一人も取り残さずに、どのようにすれば公正なサービスを提供できるかを考えていくのが図書館情報学の一つの側面です。

このことは「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」という考え方にもつながります。社会的に弱い立場にあったとしても、誰一人取り残さない、そうした視点を身につけることは、司書になる、ならない、を問わず、これからの社会の担い手になる若い世代の学生たちには求められていると思います。

KA:ありがとうございます。少し話がずれるかもしれませんが、図書館情報学というのは本の並べ方なども扱う学問だと認識しています。私は図書館にはあまり行かないのですが、自宅に本がたくさんあります。本の並べ方として「これは良くない」「むしろこのように並べると良い」といった考え方があれば、教えていただけますか。

山口氏:自分のために買った本を、自分で読むために並べるのであれば、特にこうあるべき、という考え方はなくて、どんな並べ方でもよいと思います。実際に私の自宅の本も、規則的に並んでいるというよりは、なんとなく買った順番に積み上げられている、というような有様です。

ただし、不特定多数の人に利用してもらうための並べ方は全く異なります。本の並べ方には、著者順、タイトル順、本の大きさ順などいろいろありますが、図書館では基本的に「テーマ順」で並べます。なぜなら、特定の1冊を買いに行く書店とは違って、図書館では、利用者が「このテーマについて知りたい」と考えて来館することが多いからです。また、テーマ順という並べ方は、著者やタイトルをキーワードに本を探しに来る利用者であっても、ある程度対応できるというメリットもあります。たとえば、「森永卓郎さんの本を読みたい」という場合は経済学の棚に行けばいいですし、最近話題の『シン読解力ー学力と人生を決めるもうひとつの読み方』という本を探しているなら、言語学か教育学の棚に行けばいいかな?、という連想もある程度できます。反対に、タイトル順や著者順に並んでいる棚から、特定のテーマの本を探すのはかなり面倒なので、効率性と汎用性を考えると、テーマ順が最適、ということになります。

また、図書館は教育施設でもあるので、「好きなものだけおなかいっぱい食べてください」ということだけではなく、「せっかく来てくれたのだから、視野を広げてもらいたい」という思いもあります。そのためには、隣接する本がテーマ的に関連性を持つように並べる必要もあります。一般にはあまり知られていませんが、図書館には、蔵書の構成ができるだけ偏らないようにしよう、という考え方があります。たとえば、原発再稼働に関する本を集める際には、推進派の本ばかりでなく、反対派の本も揃えなければなりません。少数意見も含めて、様々な資料を集めて、利用者に考える機会を与えることも図書館の大切な役割です。そういった観点からも、著者順やタイトル順ではなく、テーマ順での並べ方が望ましいと言えます。テーマ順は、多様な人々にとって使いやすく、視野を広げるための有効な方法だと思います。

KA:ありがとうございます。図書館情報学を学んで、それを日常生活に生かせる人というのは、やはり図書館に勤める人や、読書好きな人が中心になるのでしょうか?

山口氏:そうですね。基本的には、授業を受けに来る学生は「司書になりたい」という目的を持っている場合が多いです。「司書」というのは図書館で働く専門的な職業のことで、国家資格です。ただし、図書館に勤めることが最終的な目的でなくても、情報の整理法や公正な情報へのアクセスの考え方などは、広く日常生活や他の仕事にも生かせると思います。

たとえば、情報をどう探すか、どのように整理するかといったスキルは、社会に出てからも非常に重要ですし、資料の扱い方や公正な視点を持つ姿勢というのは、どのような職業においても求められるものだと思います。

KA:たしかに、情報を適切に扱えることや、多様性や公平性といった価値観を学べるのは、どんな場面でも役に立ちそうですね。

山口氏:図書館情報学は、単なる技術や知識の修得だけでなく、情報にどう向き合うのかという態度や姿勢も問われる学問ですから、図書館の専門職を目指さない人にとっても、社会の中で情報を正しく扱い、公正であること、平等であることについて意識を持って生きていくための土台になるのではないかと思っています。

見えにくい専門性と図書館職員の非正規化が課題

KA:図書館情報学における課題点と、その課題に対する改善策があれば教えていただけますか。

山口氏: 図書館情報学は図書館現場と非常に密接した学問であるため、図書館業界全体が直面している問題を、学問としてどう受け止め、解決策を提示していくか、というところが問われていると思います。

そういう観点で最も大きな課題の一つが、図書館員の「雇用問題」です。現在、公共図書館で働く職員のうち、約8割が非正規職員という状況です。1990年代までは、正規職員が約7割を占めていたのですが、ここ25年ほどで完全に逆転し、今や非正規雇用が主流になっています。

若いうちは正規と非正規で給与にそれほど差はないのですが、年齢を重ねるにつれて待遇に差が出てきます。非正規のままでは生活が安定せず、職員の入れ替わりが激しくなるという問題が起きています。皆さんもぜひ近くの図書館に行く機会があったら、カウンターで働く人たちに目を向けてみてください。行くたびにカウンターの職員さんの顔ぶれが変わっている、ということはないでしょうか?

KA:なぜ、司書の仕事がここまで非正規化しているのでしょうか。

山口氏:いろいろな原因がありますが、一つの背景としては、司書の持つ専門性が、図書館をふだん利用していない人にはもちろん、図書館を日常的に利用している人にさえも伝わりづらいという点があると思います。図書館のカウンターに立っている人が、国家資格が必要になるような高度な専門職であるということがなかなか伝わりづらいという問題があります。ちょっとした笑い話ですが、図書館のカウンターには、「私も明日から働きたい」「暇そうだから私にもできる」と言ってこられる方がいたりして、まるで気軽なアルバイトのように見られてしまうこともあります。

公共サービスである以上、本来であれば住民からの信頼が不可欠です。たとえば、警察官や公立病院の医師を全員非正規職員にするような話は起こりえません。もしそうしたら市民が強く反対するはずです。しかし、図書館に関しては非正規に置き換えられても、誰も問題視しないという状況があるのです。

図書館職員が持っている専門性――たとえば、資料の選書や分類、目録の作成といった業務は非常に難しく、多くの勉強を必要とします。しかし、こうした専門性は、利用者の目の前でヒーローのように活躍して見せるものではなく、利用者からは見えないところで機能しているため、どうしても評価されにくいのです。

司書の仕事がどれほど専門的で、どれほど重要なのかを市民が認識するのは、待遇の悪化が今後も続いて、専門的に学んだ人たちがいよいよ図書館で働かなくなった後のことなのかもしれません。利用者のニーズにマッチした新しい本が入らなくなり、本の並べ方もなんだかおかしくなって、図書館が使いにくくなってはじめて「これはおかしい」と気づく。当たり前に利用できているからこそ、司書の仕事の価値が認識されにくいようにも感じます。

KA:どうすれば司書の価値が伝わるのでしょうか。

山口氏:簡単な答えはありませんが、一つの方向性として、司書の専門性をもっと分かりやすい言葉で伝えていく必要があると思います。

たとえば、警察は「安全を守る」、病院は「命を守る」といったように、それぞれの機関が市民生活の中で何を守っているかが明確に言語化されています。しかし、図書館は何を守っているのかと問われると、答えにくいです。図書館情報学の分野では「知る権利を守る」「知る自由を守る」という表現がありますが、それも多くの人にはピンとこないのではないでしょうか。

KA:確かに、「知る自由」と言われても、少し抽象的に聞こえますね。

山口氏:そうなんです。ですので、自分たち自身でもっと考えて、図書館が市民の生活のどこに役立っているのか、何を守っているのかを伝えていかなくてはいけないと思います。

私が住んでいる沖縄でも、司書を目指す学生たちとよくこのことについて話し合うことがあります。また、大学生ではありませんが、「オープンキャンパス」という、受験生(高校生)が大学の授業を体験する講座の中でこの話をしたこともあります。5年くらい前のことですが、高校生たちに向けて「警察は安全を守る、病院は命を守る。では図書館は何を守っているのか?」と質問したことがあったのですが、面白かったのが、沖縄の子どもたちらしく「平和を守る」という答えが多く出てきたことです。これは、ある意味で正しいと私は思います。

図書館という場所は、情報への自由なアクセスを実現することで、さまざまな基本的人権を保障していく機関です。図書館は、平和主義や国民主権といった憲法の原理のベースにある「基本的人権の尊重」を実現するために存在しているとも言えます。一方で、「戦争は最大の人権侵害だ」という言葉もあります。そういった意味で、「図書館は平和を守る」という説明の仕方も、私は十分にあり得ると思います。武力による紛争が絶えない状況だからこそ伝えていきたい図書館の役割だと感じています。

KA:なるほど。もっと良い言葉が見つかる可能性もありますが、学生たちと一緒に考えていくことが大切ですね。

図書館情報学はAI時代にどう向き合うべきか

KA:では、図書館情報学における今後の展望について、お聞かせください。

山口氏:「今後の展望」というご質問は、「これからも図書館情報学という分野が存在し続ける」ことを前提としていると思うのですが、そもそも、10年先、20年先に図書館情報学が存在するのか、そこが、まず一つ考えておくべき点だと思います。なぜだかわかりますか?

KA:図書館自体がなくなるかもしれない、という可能性があるということですか?

山口氏:そうです。実際に、オープンキャンパスで受験生から「十年後や二十年後に図書館は存在するのか?」といった質問をされることもあります。「今後、AIに置き換えられる仕事」として、図書館の仕事が含まれることもあります。

生成AIはどんどん発達していて、質問すればすぐに答えてくれるますし、インターネットで情報も簡単に手に入る。「紙の本のある場所」としての図書館が、将来の社会で本当に必要とされるのかどうか。

特に公共図書館は税金で運営されていますので、「一部の読書好きの人たちしか利用しない趣味的な施設に税金を使うのはどうか」といった議論が出てくる可能性もあります。最近、アメリカではトランプ政権下で図書館への補助金が止められたり、蔵書構成が攻撃されたりするような事例も起こっています。日本において、こうした政治的な状況の変化に左右される事態が絶対に起こらないとは言い切れません。

ですから、図書館情報学の将来を語る際には、まず「将来の社会に図書館は必要とされるのか?」という前提から一緒に考えなければならないのだと思います。

KA:私はあまり図書館を利用しないので、正直、なくなってしまうかもなと思ってしまうこともあります。

山口氏:そういう感覚の方も増えてきていると思います。わからないことがあれば、すぐにAIに聞いたり、ネットで検索して済ませたりしますよね。小説などの娯楽作品はAIで代替できないので本を読むという人もまだまだいますが、知識を得るという点では、ネットの方が効率的で、実際に図書館まで足を運ぶ手間も省ける分、勝ってしまう部分があります。

学生とこの話をすると、「ネットよりも図書館の紙の本の方が信頼できる」と言う答えが返ってきます。でも、日常生活で本当に図書館に行って調べ物をするかというと、信頼性が多少劣っても、手間がかからないネットで済ませてしまうという人が圧倒的ですよね。しかも、インターネットの情報の信頼性も徐々に高まりつつある。ですから、「図書館の方が信頼できる」というだけでは、もはや図書館を使う決定的な理由にはならない。そうなると、使う人がますます減っていくのではないかと思います。

ここで考えなければならないのが、生成AIやSNSが抱えている問題点です。たとえば、生成AIの回答は、インターネット上の情報の「量」に影響される側面があるため、間違いではないけれど、偏った回答が返ってくることがあります。

私自身の体験で言うと、授業で使うスライドに挿入するイラストを生成AIで作ろうと思って、「司書が子どもたちに読み聞かせをしている絵」をリクエストしたことがあったのですが、出てくるのは若い白人女性のイラストばかり。「司書は女性向けの仕事」とか「知的な職業には有色人種が少ない」といった潜在的なバイアスが知らない内に刷り込まれてしまう恐れもあります。

KA:確かに、それは少し怖いですね。

山口氏:小学校では生成AIを授業で活用している学校もあるようですが、「1日20分まで」などの制限を設けている例もあります。生成AIには、ネット上にある情報のボリュームが多いものほど「正しい」と認識されてしまう傾向があるそうです。そうした情報にばかり触れていると、広い視点から物事を考慮できなくなってしまうかもしれません。こうした問題点は、SNSにも共通します。

例えば、X(旧Twitter)やYouTubeでは、一度興味を持った投稿をクリックすると、以後は同じような情報ばかり表示されるようになります。これが繰り返されると、自分と似た価値観ばかりに囲まれて、反対の意見や多様な視点に触れる機会が減少してしまいます。

近年、アメリカの社会がなぜあれほど分断されてしまったかというと、こうした「情報の偏り」が原因の一つになっているという見方もあります。人々が自分の見たいもの、支持したいものだけに囲まれ、他者との意見交換ができなくなっている。日本でも今後起こり得るのではないかと思います。

似たような情報が増幅し、視野がどんどん狭くなっていく。こうした現象には「フィルターバブル」という名前がついています。ご存知ですか?

KA:いえ、初めて聞きました。

山口氏:フィルターバブルとは、SNSなどのタイムラインに表示される情報が、個人の趣味や行動履歴に基づいて自動的に選別され、似たような情報ばかりが繰り返し表示されることで、視野が狭くなっていく現象を指します。

そして、このフィルターバブルに閉じ込められた状態は「エコーチェンバー」とも呼ばれます。閉じた空間で、自分の意見と同じような声が反響して強化されていく。それが怖いところです。

生成AIは、ネット上の情報の偏りに影響されるだけでなく、使う人の癖や関心を学習して、その人が「好みそうな回答」を返すような仕組みにもなっているように感じることもあります。生成AIのことを勉強したいと思って、ここ1カ月ほど集中的に「Chat GPT」を使ってみたのですが、使えば使うほど、自分のことをよく理解しているような答えが返ってくることが増えてきて、便利な面もありますが、ネット上に自分のクローンが生まれるような怖さを感じるようになりました。

だからこそ、図書館情報学にはまだ重要な役割が残っていると思っています。情報にどうアクセスし、それをどう判断し、どう活用するのか。つまり「情報リテラシー」をどう育てるかという点ですね。

フィルターバブルやエコーチェンバーの問題を乗り越えるためには、自分が触れている情報がどういった経緯で出てきたのか、その背景や偏りを理解する必要があります。図書館情報学は、そうした視点を養うための学問として、今後さらに重要になるはずです。

KA:つまり、単に情報を探すためではなく、情報をどう扱うかを学ぶことに意味があるんですね。

山口氏:その通りです。そして、もう一つ重要なのが「情報の価値をどう評価するか」という点です。今は誰でも簡単に情報を発信できますし、それにAIの生成物も加わってくる。だからこそ、何が正しくて、何が信頼できるのかを判断する力が求められます。

このように、情報そのものの意味や構造を理解する学問としての図書館情報学は、AIの時代だからこそ、むしろその意義が高まっているとも言えるんです。

KA:図書館情報学という分野の重要性が、改めてよくわかりました。

山口氏:これまでの図書館情報学はどちらかというと、情報をどう整理するか、というところに重点が置かれていましたが、今後は「人間の行動」や「社会の変化」といった文脈をより重視する方向に進んでいくのではないかと思います。つまり、人間中心の情報学ですね。

KA:AIが発展すればするほど、人間そのものへの理解も重要になっていくわけですね。

山口氏:そうです。AIができることと、人間にしかできないこと。その境界が曖昧になる時代だからこそ、人間の情報行動や知識形成のプロセスを深く理解することが必要になります。

図書館情報学は「分類する」「目録を作る」といった技術的な部分はもちろん大切にしつつ、「人と情報との関係」を扱う学問として、再定義されつつあると思います。そうした変化を捉えながら、自分たちの役割を見直していくことが求められています。

図書館情報学の「未開拓」な魅力

KA:最後に、図書館情報学を現在勉強している方、あるいはこれから学ぼうとしている方に向けて、何かアドバイスをいただけますか。

山口氏:図書館情報学を学ぶ意義については、ここまでいろいろお話をしてきましたので、最後に少し視点を変えて、学問としての純粋な魅力のようなことをお話ししたいと思います。

大学ではいろいろな学問が学べます。たとえば、言語学、文学、社会学、教育学、工学、物理学などがありますが、それらの分野と比べて、図書館情報学はまだ歴史が浅く、研究者の数も多くありません。それだけに、まだ明らかにされていない問題や課題がたくさんあります。誰も研究していないような、面白いテーマが眠っている。そこが図書館情報学の魅力だと思っています。

私は大学時代に経済学を学んでいたのですが、資本主義のメカニズムを学ぶ中で、その競争からこぼれ落ちてしまう人たちがいるという現実に気づかされました。たとえば、ホームレスの方々です。私は、大学院に入ってから図書館について本格的に学び始めたのですが、社会の最下層にいる人たちと図書館情報学を結びつけて、図書館が彼らをどう支援できるのか、ということを研究テーマに選びました。

当時は日本でそのような研究をしている人はほとんどいませんでした。ホームレスの存在が話題になるとしても、図書館のトイレで洗濯をしたり、水浴びをしたり、大荷物とともにソファを占拠して居眠りをしたりするーー、そのような「迷惑利用者」としての扱いであり、排除の対象として捉えられていたように思います。でも、私が学んだ経済学では、公共サービスというのは本来は「富の再分配」のためにあり、貧しい人への支援だと教えられます。そこから、公共サービスの1つである公共図書館は誰のためにあるのか、読書や文化から最も遠ざけられている人たちのためにこそ図書館は存在すべきなのではないか、という問題意識が生まれ、ホームレスの人たちを排除の対象とするのではなく、サービスの対象として見つめるまなざしをもつことが必要だということを論文に書いてまとめました。もちろん、この考え方が全面的に正しいと評価されたわけではありませんが、若い研究者であっても、新しい視点から問題提起ができるという点で、図書館情報学は非常に自由度の高い学問だと思います。知的な冒険に満ちた領域だとも言えます。

KA:確かに、未開拓の領域が多そうですね。

山口氏:私が所属しているのは「日本文化学科」という学科で、学生たちは、卒業研究の題材として「万葉集」や「夏目漱石」「太宰治」などを取り上げることが多いのですが、先行研究が膨大で、新しい視点を見つけるのが大変そうだなぁと感じることがあります。その点、図書館情報学は、まだまだ誰も手をつけていないテーマが数多くあります。自分自身の関心と結びつけて、新しいことができる学問です。これから学ぼうとする方々には、そうした可能性にぜひ気づいていただきたい。そして、図書館情報学という学問を、より豊かにしていく仲間になっていただけると嬉しいです。