数値計算やシミュレーションでよく利用される手法ですが、今や金融市場の分析に欠かせないツールとなったモンテカルロ法。この数学的手法は、複雑な市場の動きを解き明かす強力な武器として進化を続けています。
この記事では、日本大学経済学部の三井秀俊教授にハミルトニアン・モンテカルロ法の特徴や金融取引への応用、将来の可能性を伺っています。
また、最近では投資家の間で浸透しているボラティリティの概念や種類についても、詳しく教えていただきました。
三井 秀俊
日本大学 経済学部 教授
【biography】
東京都立大学助手、日本大学経済学部専任講師・助教授・准教授を経て、2015年より同大学経済学部教授。この間、千葉大学大学院・一橋大学大学院・筑波大学大学院・埼玉大学大学院・上智大学大学院・電気通信大学・東洋大学非常勤講師、埼玉大学大学院客員准教授・客員教授、日本大学経済学部経済科学研究所長、デューク大学客員研究員などを歴任、博士(経済学)。株式市場・デリバティブ市場・外国為替市場の計量分析を専門としている。著書に『オプション価格の計量分析』、『ARCH型モデルによる金融資産分析』(以上税務経理協会)などがある。
モンテカルロ法の起源から金融モデルへの応用
ナレッジアート(以下KA):ハミルトニアン・モンテカルロ法の前に、モンテカルロ法について、基本的なところから説明していただけますか?
三井氏:モンテカルロ法という名称は、ヨーロッパのカジノで有名なモナコ公国のモンテカルロに由来しています。当初は中性子が物質中を動き回る様子を探るための計算から始まりました。基本的な考え方としては、乱数を発生させて数値計算やシミュレーションを行う手法です。
ただし、統計学でのシミュレーションは、一般的なシミュレーションとは異なります。数学・統計学・経済学などの分野では、具体的なモデルを作成します。
例えば、株価指数や個別銘柄の株価、FX(外国為替証拠金取引)での外国為替レートの動きをモデル化する場合には、モデル自体は数式で表現します。金融市場におけるリスク資産価格の動きは一見ランダムに見えますが、実際には以下の2つの要素で構成されています。
1. 確定的(規則的)な部分(トレンド)
2. 不確定な部分(ランダムな変動)
株価や外国為替レートは完全にランダムな動きではなく、トレンドが存在します。金融市場をモデル化する際は、トレンドとして動く確定的な部分と、ランダムに動く不確定な部分に分けて考えます。
ランダムに動く部分の検証にモンテカルロ・シミュレーションを利用します。最も基本的なモンテカルロ・シミュレーションでは、正規分布または一様分布を仮定し、そこから乱数を発生させて株価や外国為替レートの動きをシミュレートします。
また、統計学では、単一の動きだけを観察するのではなく、モデルを使って多数のシミュレーションを行います。例えば、1万回や10万回の異なる動きをシミュレートし、平均値を取ることで現実の動きに近似した結果が得られます。
モンテカルロ・シミュレーションは、このような計算を行う最も基本的な方法です。しかし、通常のモンテカルロ・シミュレーションは非効率的であるため、より効率的な乱数生成やサンプリングの方法として、マルコフ連鎖モンテカルロ法などの新しい手法が開発されています。
さらに、ランダムな動きのシミュレーションは、株価や外国為替レートだけでなく、原子や分子の動きなど、自然界の様々な現象の研究にも応用されています。これらのランダムな動きを検証する際にモンテカルロ法が使用され、より効率的な計算を実現するためにハミルトニアン・モンテカルロ法などの手法が開発されました。
モンテカルロ法の金融分野での限界と課題
KA:モンテカルロ法について、もう少し教えてください。モンテカルロ法を株やFXに応用して取引ができるのでしょうか?
三井氏:モンテカルロ法は株やFXを含む金融市場で広く利用されていますが、その適用にはいくつかの課題があります。
例えば、将来の株価や外国為替レートのランダムな変動をシミュレートし、リスクとリターンの分布を分析することで、投資判断をサポートすることは可能です。
しかし、短期的な価格変動を予測する場合や高頻度取引(HFT)には適していません。HFTでは、ミリ秒単位の意思決定が求められるため、計算負荷の高いモンテカルロ法は実用的ではないからです。
一方で、モンテカルロ法を含む統計的手法には限界もあります。金融市場は、人間の行動や感情、予期せぬ出来事など、多様な要因の影響を受けるため、自然科学のように安定した法則に基づく予測が難しいからです。
自然科学分野では安定した法則に基づく現象を扱うため、モンテカルロ・シミュレーションやマルコフ連鎖モンテカルロ法などによる予測が比較的容易です。
しかし、金融市場のような社会科学分野では、予測の精度を高めるために、モデルの仮定や入力データの精度を慎重に検討する必要があります。結論として、投資家がこれらの手法を利用する際には、モデルの仮定や限界を理解することが重要になるでしょう。
ハミルトニアン・モンテカルロ法の効率的な計算手法
KA:では、通常のモンテカルロ法とハミルトニアン・モンテカルロ法の違いについて教えていただけますか?
三井氏:基本的なモンテカルロ・シミュレーションは非常に非効率で、計算やシミュレーションの精度を上げるためには膨大なサンプリングが必要になります。
モンテカルロ・シミュレーションでは、正規分布や一様分布から乱数を発生させる際、サンプリング自体には問題はありませんが、精度の高い推定値を得るためには膨大なサンプリングが必要になります。
例えば、通常のモンテカルロシミュレーションでは100万回のシミュレーションが必要な場合でも、ハミルトニアン・モンテカルロ法を使用すると1万回程度で同等の結果が得られます。
通常のモンテカルロ法で1週間かかるシミュレーションが、同じモデルでハミルトニアン・モンテカルロ法を使用した場合、1日で完了するといった具合に、計算時間を大幅に短縮することができます。
また、より効率の良いサンプリング方法として、マルコフ連鎖モンテカルロ法という手法があります。マルコフ連鎖モンテカルロ法は物理学や経済学でよく使用される手法です。
マルコフ連鎖モンテカルロ法の中には、以下のようなサンプリング手法があります。
- ギブスサンプラー(ギブスサンプリング)
- メトロポリス法
- メトロポリス・ヘイスティングス法
ハミルトニアン・モンテカルロ法は、上記のマルコフ連鎖モンテカルロ法の手法よりも、さらに効率的なサンプリングを実現するために開発された手法です。
また、ハミルトニアン・モンテカルロ法とマルコフ連鎖モンテカルロ法では、状態遷移の方法が異なります。ハミルトニアン・モンテカルロ法では、リープ・フロッグ法という特殊な手法を使用します。
モンテカルロ・シミュレーションの一般的な方法では連続的にサンプリングを行いますが、ハミルトニアン・モンテカルロ法では、リープフ・ロッグという名前が示すように、カエルの跳躍のような動きでサンプリングを行います。通常のサンプリングとは異なり、離散的な跳躍によってサンプリングを進めていきます。
ボラティリティ計算におけるハミルトニアン・モンテカルロ法の活用
KA:三井先生が研究において、ハミルトニアン・モンテカルロ法を使用する理由は何かあるのでしょうか。
三井氏:株式市場や外国為替相場の研究で、ハミルトニアン・モンテカルロ法を使用している理由は、ボラティリティの理解度と計算方法の違いにあります。まず、ボラティリティには様々な計算方法があります。
最も基本的な計算方法は、ヒストリカル・ボラティリティ(historical volatility)です。例えば、日経平均の場合、日経平均ヒストリカル・ボラティリティという指標があります。
過去にはインプライド・ボラティリティ(implied volatility)という指標が使用されていましたが、現在では、日経平均インデックス・ボラティリティ(日経平均IV)が使用されています。
ボラティリティは計算方法やデータによって名称と使用方法が異なります。主な種類として以下が挙げられます。
- ヒストリカル・データから計算するボラティリティ
- オプション・データから計算するボラティリティ
- モデルを作成して計算するボラティリティ(SVモデル:ストキャスティック・ボラティリティ・モデル)
私たちの研究では、SVモデルを使用してボラティリティの推定を行っています。この手法は、ヒストリカル・ボラティリティやオプション価格から計算するボラティリティよりも複雑な計算が必要です。
具体的には、ハミルトニアン・モンテカルロ法でベイズ推定を行い、ボラティリティを推定しています。ベイズ推定とは、正確ではありませんが、わかりやすく言うと以下のように人間の思考プロセスに近い方法を使って行う統計手法のことです。
1. 新しい情報を受け取る
2. 自分なりの解釈を行う
3. さらに新しい情報が入ってきたら判断を更新する
4. この過程を繰り返しながら意思決定を行う
つまり、ベイズ推定とは、新しい情報が得られるたびに確率的な推論を更新し、より精度の高い推定を行う統計的手法ということです。この手法をハミルトニアン・モンテカルロ法で実行することで、より正確なボラティリティの推定が可能になります。
ただ、多くの人々はボラティリティを単一の概念として理解していますが、実際には計算方法やモデルによって値が変化します。私たちの研究目的は、現実に近いモデルを想定し、より精密なボラティリティの値を算出することです。金融業界においてボラティリティは重要なリスク指標となっており、株式取引やFX取引、特にオプション取引において重要な役割を果たしています。
KA:では、よくインターネット上で見かけるボラティリティの数値はあまり正確ではないのでしょうか?
三井氏:一般投資家向けのインターネット上のボラティリティ計算はあまり正確とはいえません。ネット上のボラティリティは、広義の意味で、一般的に価格やレートの変動幅(変動性)として計算されています。しかし、狭義の意味ではヒストリカル・ボラティリティでさえ、価格ではなく変化率や連続複利収益率に変換してから計算する必要があります。
ボラティリティの厳密な定義
三井氏:変動幅という考え方は基本的に正しいのですが、重要な注意点があります。具体例で説明しましょう。
株価が1000円から1100円に上昇した場合、上昇率は10%です。一方、1100円から1200円に上昇した場合、同じ100円の価格上昇でも、上昇率は約9.09%となります。変動幅で見たボラティリティの値は同じですが、変化率(収益率)で見たボラティリティは異なります。
価格の変動を見る際に、単純な価格の変動幅で見るべきか、変化率(上昇率・下落率)で見るべきかという問題があります。一般の投資家は単純に「価格やレーㇳの動きが大きいからボラティリティが大きい、小さいからボラティリティが小さい」と捉えがちですが、この理解は正確ではありません。
例えば、株価が1年間で2倍になるような状況では、価格が上昇するにつれて、同じ価格の変動幅でも上昇率は徐々に小さくなっていきます。ボラティリティの概念を正確に理解するためには、この点を考慮する必要があります。
つまり、変動幅という概念自体は間違いではありませんが、実際のトレーディングでは変動幅だけでの判断では不十分です。価格水準に応じた変化率も考慮しないと、判断を誤る可能性があります。
KA:インターネット上で正確なボラティリティの概念が見られないのは、どうしてでしょうか。
三井氏:主な理由として、専門的な説明が一般の人々には理解が難しいため説明を省略してしまうためでしょう。また、正確な測定方法を理解できる人が限られていることも挙げられます。
多くの人は「株式投資やFXに直接関係ない」と考えるかもしれませんが、曖昧な理解でトレードを行う人と、正確な理解をしている人では、結果に差が出てくると考えています。
ボラティリティを単純な「変動性」として捉えるだけでなく、正確な計算方法を理解している人は、ボラティリティに関する情報をより深く理解することができます。例えば、株式とFXのボラティリティ比較において、株式の方が大きいという事実は正しいものの、個別株や株価指数によって異なることも理解できます。また、変動幅が大きいからだけの理由で値嵩株に投資する方もいますが、投資効率からいったら小型株の方が上昇率が高くなることが多いので投資スタイルにも影響することになります。
直接的な活用の有無に関わらず、正確な知識や情報を身につけておくことで、理解が深まり間接的に活用できるようになる可能性があります。したがって、ボラティリティだけでなく金融市場に関する正確な知識を持つことは重要だと考えています。
データに基づくボラティリティ研究
KA:ハミルトニアン・モンテカルロ法を用いた先生の研究は、主にボラティリティの大きさを正確に測定することが中心だったのでしょうか?
三井氏:私たちの研究目的は、株価の動きと収益率、そしてボラティリティの関係性を明確にすることです。一般的に「株価は上昇時はゆっくりで、下落時は急激」と言われていますが、ボラティリティの観点から見ると、「上昇時は低ボラティリティ、下落時は高ボラティリティ」という関係性があります。私たちの研究では、感覚的な理解ではなく、データに基づいた検証を行っています。
現在進行中の研究では、トレンドに関する分析も行っています。単純に線を引くトレンド・ラインではなく、確率的なアプローチを採用しています。例えば、上昇トレンドの場合、次の取引日も上昇する確率を具体的に計算することが可能です。
実際に、一部のヘッジファンドではベイズ統計を活用して株価の予測を行い、投資判断に利用しています。物理学、数学、統計学の博士号を持つ専門家たちが、高度な計算や予測を行って投資戦略を立てています。
ボラティリティの本質と投資における活用
KA:将来的にボラティリティの正確な値がインターネット上で公開される可能性はありますか?
三井氏:ボラティリティは実際には観測不可能な値です。ヒストリカル・ボラティリティは便宜上、過去のデータを使用して計算しているだけであり、真のボラティリティのプロセスや実際の値は把握できません。
オプション取引においては、ボラティリティをいかに正確に計算するかが重要な勝負となります。個別株式を長期保有する投資家にとっては、ボラティリティの厳密な値はさほど重要ではありません。
しかし、ヘッジファンドのような大量かつ瞬時の売買を行う投資家や、ボラティリティ自体を取引対象とする投資家、オプション取引を行う投資家にとっては、ボラティリティの正確性が非常に重要です。
私たちの研究目的は、真の値により近いボラティリティ値の計算方法を開発することです。完全な真の値は分からないものの、より正確なボラティリティの値の推定を目指しています。
KA:現在公開されているボラティリティ指標についてはいかがでしょうか?
三井氏:日本経済新聞社が算出しているボラティリティ・インデックスは公開されていますが、全ての投資家がアクセスできる情報であるため、投資における優位性を得ることは困難です。上級レベルの投資家は、独自にデータを収集し、独自の手法でボラティリティを推定して投資に活用しています。
KA:ハミルトニアン・モンテカルロ法はFX取引におけるボラティリティ分析にも有効なのでしょうか?
三井氏:ハミルトニアンモンテカルロ法は、FX取引におけるボラティリティの分析に有効です。特にボラティリティと価格変動の関係性を分析する際に有用な手法です。
ハミルトニアン・モンテカルロ法の発展と展望
KA:最後に、ハミルトニアン・モンテカルロ法の今後の展望についてお聞かせください。
三井氏:ハミルトニアン・モンテカルロ法の将来的な発展は、主に2つの方向性から考えられるでしょう。
- NUTS(No-U-Turn Sampler)などの新しい手法の開発
NUTSはハミルトニアン・モンテカルロ法を基盤にした手法で、サンプリングの効率を向上させるとともに、ユーザーによるパラメータ調整の負担を軽減するアルゴリズムです。現在では、もっと発展的な手法が開発されています。 - 計算効率の向上
コンピュータの計算速度の向上や、より効率的なサンプリング手法の開発が進むことで、ハミルトニアン・モンテカルロの適用範囲がさらに広がると期待されます。
ただ、ハミルトニアン・モンテカルロ法は、あくまでも手段の1つです。例えば、ある地点から別の地点への移動手段として、徒歩、自動車、飛行機があるように、ハミルトニアン・モンテカルロ法も1つの方法論です。
株式やFXの分析においては、ベイズ推定が重要であり、ハミルトニアン・モンテカルロ法はベイズ推定を実行するための強力なツールとしての位置づけです。
ハミルトニアン・モンテカルロ法は計算効率の向上をもたらし、金融市場分析に新たな可能性を開きました。今後も技術の進歩とともに、より精密な市場分析や予測が可能になっていくでしょう。
ただし、ハミルトニアン・モンテカルロ法はあくまでも分析ツールの1つであり、その特性と限界を理解した上で活用することが重要です。金融市場の複雑さを考えると、今後も新たな手法の開発と既存手法の改良が続くと考えられます。